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歴史と文化の城下町津山観光マイスター
岩屋城を守る会

@ 美作国の始まり、岩屋城史.....
A 岩屋城址、壮大な城郭遺跡史...
B 岩屋城址、自害谷墓所の紹介...

岩屋城を守る会会長北 虎兆
副会長西尾一朗 (本冊子編集)

岩屋城跡は、室町時代から戦国時代にかけて存続した美作国守護職の本城として築城された山城です。
美作地方でも有数の規模を誇り、また、その保存状態の良好なことから昭和62年4月3日岡山県の史跡指定を受けている貴重な文化財です

○○○○ 岩屋城は、嘉吉元年(1441)山名教清が赤松満祐討伐(嘉吉の変)の論功行賞により、美作国の守護に任ぜられた際に築城されたという。
その後応仁の乱の勃発(応仁元年-1467) に伴い、山名政清(教清の子) が上洛した虚に乗じた播磨の赤松政則によって落城し、さらに文明5年(1473)政則が美作国の守護となったことから、岩屋城には武将の大河原治久が在城した。
永正17年(1520)春、赤松氏の武将であった備前の浦上村宗が謀反し岩屋城を奪取、武将の中村則久を岩屋城においた。
これに対し、 赤松政村(政則の子)は、同年4月武将小寺範職・大河原を将として半年に及び城を囲んだものの落城せず、赤松氏の支配は終わるところとなった。
このことから24年後の天文13年(1544)出雲尼子氏の美作進出に伴い、岩屋城においても接収戦が行なわれ、城主中村則治(則久の子)は尼子に従属した。
しかしながら、永禄11年(1568)頃、中村則治は芦田正家に殺害され、芦田正家は浦上氏に代わって勢力を伸ばしていた宇喜多氏の傘下に投じたが、5年後の天正元年(1573)には宇喜多直家の宿将である浜田家職が岩屋城の城主となるに至った。
その後しばらくは比較的平穏であったが、天正7年(1579)以降、宇喜多氏が毛利氏を離れ、織田氏に属したことから再び美作の諸城は風雲急を告げるところとなり、天正9年(1581)毛利氏配下の 中村頼宗(苫西郡山城村葛下城主)や大原主計介(苫西郡養野村西浦城主)らにより岩屋城は攻略され、中村頼宗が城主となり再び毛利氏の勢力下となった。
織田氏と毛利氏の攻防は、天正10年(1582)備中高松城の開城により終了したが、領土境を備中の高梁川とすることについて美作の毛利方の諸勢力は、これに服さなかったため、宇喜多氏の武力接収戦が武将花房職秀を将として行われた。
この接収戦は長期にわたり決戦の機会に恵まれず、織田信長に京都から追放され安芸の毛利氏を頼って、備後の鞆の津にいた足利義昭前将軍の調停により戦闘は収束した。
これ以降、宇喜多氏に属することになった岩屋城には、宇喜多氏の宿将長船越中守が入城した。
しかしながら、6年後の天正18年(1590)8月野火により焼失し、既に美作国全土が宇喜多領となったので城を存置する必要もなく廃城となり、149年間の岩屋城史は幕を閉じたと伝えられている。

◎天正12年(1584)の宇喜多氏の岩屋城接収戦での陣城と土塁

○○○○ この戦いは、天正10年(1582) 備中高松城において、中国地方制覇を目指す織田氏(羽柴秀吉・宇喜多秀家)と毛利方との対陣となった。
5月には織田方は高松城の水攻めを始めたが、6月2日京都本能寺で織田信長は明智光秀の謀反にあい殺された。
いわゆる本能寺の変により、急遽、羽柴秀吉は毛利方との講和を成立させた。
この講和の条件は高松城主清水宗治の切腹と、高梁川を境として毛利方はその西に引き東は宇喜多秀家が領有することとなり、これにより美作国一円は宇喜多氏の領有することとなったのである。
ところが、毛利方にとってこの講和は美作における屈辱的なものであり、承服できないとして、岩屋城主中村頼宗、高田城主楢崎元兼、矢筈山城主草刈重継、枡形城福田勝昌、葛下城主桜井直豊らは死を決し、各自の城を守りながら、あわよくば宇喜多方の勢力を美作より掃討しようと激しい攻防があった。
毛利氏も安芸から兵や食糧を密かに送り、これを支援した。
この情勢では、宇喜多方は美作国を穏便に接収することは困難とさとり、武力での接収を決意する。
これがいわゆる天正12年の宇喜多氏の岩屋城接収戦であり、美作国一円を制圧するためには岩屋城の接収が必要不可欠であることから、荒神山城主花房職秀を軍奉行として2万を超える大軍を差し向け、篠向城主江原親次他10将が毛利方の岩屋城(城主中村頼宗)を完全に包囲する陣形の模様がわかる陣城12箇所と土塁8kmが現存している。
(全国的にも守った側の城と攻めた側の包囲陣群が完全に残っているのは、本例だけだといわれている。)

《包囲しての接収戦の結末》・・・・・・和議の成立(軍師 黒田官兵衛登場)

宇喜多軍が接収するため岩屋城下に到着したのが天正12年3月、攻防・対陣数ケ月に及んだが決戦の機会がつかめず、断続的な小規模の交戦も、7月頃までは行われたが8月以降ともなれば、只対戦しているだけと言うような状態になり、未だ兵農分離も不十分な時代で長期の遠征に耐えることも無理であり、両軍共に倦怠の色があり、作州の諸城の動静にも懸念されるような状態となった。
そこで羽柴秀吉は、その頃備後の鞆の津(広島県)にいた前室町幕府第15代将軍足利義昭とはかり、和議の斡旋にのりだした。
宇喜多方より羽柴秀吉の将黒田官兵衛孝高・蜂須賀小六家政を、毛利方よりは毛利輝元の将井上新兵衛、吉川家より青木杢之助を差し遣わし協議した結果和議が成立し、作州にある毛利家所属の諸城は全部開城して、その将士の多くは作州に止まり、一部は城主と行を共にして安芸・備後へ帰還した。
また毛利をたよっていた国侍たちもみな、兵をおさめて帰農し、或は宇喜多氏に仕えるものもあり、岩屋城の接収戦はここに終わりを告げた。時に同年12月であった。

岩屋場を守る会について

以上がだいたいの岩屋城址ですが、このような歴史的価値の高い貴重な文化財産を大切に保存し後世に伝承していかなくてはならないとの思いで、昭和62年8月地元保存組織として「岩屋城を守る会」を設立しました。
(現在会員数136名)県や津山市の指導指示の基に城跡や登山道の整備管理、そして各種イベントを開催しこのことを通じて、広く伝承事業も行っております。
現在岡山県指定史跡となっておりますが、さらに国指定史跡を目指し会員はもとより地域を挙げて切望しているところです。

岩屋城址・岩屋城を守る会のあゆみ
年号事業内容
昭和433久米町史跡指定
624岡山県史跡指定(S62,4,3)
8岩屋城を守る会発足(会員数58名)
10馬場跡にトイレ新設・記念樹桜木植栽
12戦国武将の精霊祭(本丸跡にて)
平成4龍神池祠屋根修理
10第一回ウォークラリー開催(以後毎年開催)
11仮装大会(歴代武将行列)喬松小学校運動会参加
12柴燈護摩供養(馬場跡にて)
21第一回初日の出会実施(以後毎年開催)
8NHK主催朝市出場(土屋アナウンサー指示のもと、岡山市にて)
39交通安全テント村参加(坪井駅にて)
49「岩屋城せんべい」制作販売始める(山陽新聞社取材)
510岩屋城跡用地買収始まる(町有地として)
612野鳥の森整備事業完成 山頂鳥居建立
84「岩屋城」の歌制作(カセットテープリリース)
12山頂(馬場跡)物置小屋新設
104「館」建設
10登山道崩壊(台風10号被害)
122柴燈護摩供養(慈悲門寺跡にて)
139岩屋城跡整備事業完成(登山道復旧・管理道整備、東屋新設)
155美作の中世山城サミット実行委員会への参画(津山城築城400年記念事業に協
165「岩屋城音頭」の歌・振付制作(CD、カセットテープリリース)
10登山道復旧整備、風倒木撤去処理及び鳥居再建立 美作の中世山城サミット登山会(山頂馬場跡にて)
172包囲陣城群再確認詳細調査(中世山城研究家 山形省吾氏、池田 誠氏)
3岩屋城夢の広場完成
10美作の中世山城連絡協議会への参画
191美作の中世山城連絡協議会への参画
3山頂物置小屋再建設
10荒神の上・楽万の上陣城土塁保存整備始める 全国山城サミット連絡協議会加盟(第14回全国山城サミット三原大会から参画)
205津山市文化連盟「くすの木賞」受賞
10「くすの木賞」受賞祝賀会(第21回岩屋城ウォークラリー開催日)
213「くすの木賞」受賞記念植樹(第1駐車場の奥側へくすの木植樹)
8岩屋城跡ガイドリーフレット作成及び岩屋城・岩屋城音頭DVD制作
2210岩屋城跡登城のしおり及び岩屋城跡案内・守る会活動状況説明版DVD制作
10第17回全国山城サミット津山大会開催・岩屋城跡現地見学会場となる 第25回国民文化祭おかやま2010 国文祭つやま 中世山城の祭典)
234総会にて「国史跡指定に向けて努力する」旨の決議がなされた
7岩屋城跡を国指定史跡への提言(市民と市長との地域懇談会にて)
9岩屋城跡国指定史跡への早期実現に向けての協議(市教育委員会・大井西支部)
9岡山県文化連盟「地域文化賞(県知事表彰)」受賞
241岡山県文化連盟「地域文化賞(県知事表彰)」受賞 記念祝賀会
266市長へ岩屋城跡と包囲陣群跡の国指定史跡への早期実現要望
岩屋城を守る会,年間活動
岩屋城守る会
岩屋城守る会
岩屋城守る会
岩屋城跡へ登山された皆様の感想 一部紹介(登山記念記帳より)

◎整備された登山道、お陰で暗い雪の中登ることができ、有り難うございます(津山市東一の宮)
◎雪が積もった岩屋城もいいですね!(赤磐市津崎)
◎岩屋城にて飲むコーヒー最高!(津山市神戸)
◎初日の出の写真届きました。毎年有り難うございます、手袋見つかりました(津山市東一の宮)
◎甘くみていました、凄い、さすが美作一の山城です(真庭市宮地)
◎登りやすく、大パノラマ!素晴らしい(岡山市南区曽根)
◎なめていました、すみません、近くでこんな大きな城跡あるとは(真庭市上河内)
◎雪が降って来ました、本丸に行きます(福岡県筑紫野市)
◎素晴らしい登山ができました。ありがとう(美作市長内)
◎月山富田城より険しかったです(鳥取県倉吉市・愛媛県西条市)
◎やっと到着、やはり噂どうりの山城でした(東京都羽村市)
◎今回の岩屋城で六百ヶ所達成(兵庫県川西市)
◎走れる山城を巡っています。岩屋城は走れませんね(岡山市北区)
◎私は全国城跡めぐりをしてます。岩屋城を守る会の皆様こんなにきれいに整備して頂き有り難うございます(大阪府大東市)
◎念願の岩屋城へ到着(総社市駅前)
◎登山道、城跡を整備していただき有り難うございます(真庭市西原)
◎全国の山城めぐりしてます。今話題の岩屋城へ到着(東京都豊島区)
◎保存されるのは大変でしょうが、残して下さって有り難うございます(大阪府豊中市)
◎初めての登城です、見事に保存されており、国の宝です(東京都世田谷区)
◎岩屋城を守る会の皆様へ感謝!(岡山市中区赤田)
◎やっと美作国に来ることができました。岩屋城は絶対に外せない城です 感動しました(静岡県袋井市浅羽)
◎百十五ヶ所目の岩屋城です。その中で一番坂が厳しい(京都府亀岡市)
◎岡山の山城巡り二日目です、昨日天神山城を訪れました(岐阜市五坪)
◎ようやく来れました。素晴らしい城跡です(大阪市阿倍野区
◎初めてですが、感激しました(愛知県岡崎市)
◎良い山城でした、又来てみたいです(津山市大田)
8◎天気も良く素晴らしい城跡でした(倉敷市酒津)

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