-
南十字星章..home
津山城東地区
城東地区の街並み

城下町津山の東の玄関口に位置し、旧出雲街街道に面しています。茶屋、豆腐屋、紺屋、塩屋などの商人や鍛冶屋・大工・左官などの職人の家が並ぶ町人町でした。
鈎手状に曲がった道や昔の名前そのままの路地など、城下町らしいたたづまいが感じられます。
間口が15間半にも及ぶ長大な造り酒屋、屋根に煙出しをあげた鍛冶屋、長屋形式の建物など、町人町らしい様々な建物が、一つの統一感を感じさせる街並みです。
用水を挟んで、山手側は武家屋敷だったそうです。

城東町並み 和蘭堂 城東町並み 箕作旧宅 城東屋敷
作州城東屋敷

城東屋敷 出雲街道に面した町屋を復元したもので、現在は観光休憩所となっています。
この建物は、映画「男はつらいよシリーズ」の撮影で使用され、当時の撮影の様子をパネルで展示しています。建物の裏には「だんじり展示館」が設けられており県指定文化財のだんじり4台を見ることができます。

箕作阮甫・旧宅

箕作旧宅 旧宅は、明治から大正年代にかけて、鍛冶屋、豆腐屋などに使用されていたが、昭和9年(1934)津山市教育会が顕彰のため木柱を建て、ついで昭和17年(1942)に津山市に買収されました。

旧梶村家住宅・城東むかし町家

梶村邸 豪商松平藩「札元」
300坪の敷地に江戸、明治、大正、昭和の建物が同居する複合住宅梶村家です、江戸末期の建築と推定されます,内部は大正時代に大改造された、格式の高い家です。

千光寺

千光寺 津山市林田の千光寺、樹齢100年を超える...しだれ桜です、見るものを魅了します....
高さ約15メートル、枝張り幅およそ18メートルあります、その枝は地上まで垂れ下がっております。

大隈神社

大隈神社 大隈神社は初代津山藩主森忠政が城下町を開いて以来、城西地区の徳守神社と並んで、城東地区の産神として藩主を始め、領民から崇拝されてきた由緒ある鬼門守護のための神社です。

出雲街道 津山城東むかし町

出雲街道 津山城東むかし町 江戸時代に出雲街道と呼ばれるようになって、津山城東むかし町は、津山城跡の東に位置し、大橋を渡って橋本町から東新町の荒神曲がりあたりまでの地域です。 (毎年11月の第一日曜日)

津山洋学資料館 津山洋学資料館
岡山県津山市の城東町並み保存地区にある博物館である。建物は「津山洋学五峰(宇田川玄真・箕作阮甫・津田真道・宇田川玄随・宇田川榕菴)」をモチーフに五角形を基本として設計されたとされる。
常設展示室 :「人体に隠された科学への扉」、「世界へと開かれていく眼」、「日本の近代化と津山の洋学者」という3つのテーマをもつ部屋に分かれている。
企画展示室 : 洋学に関係した様々な企画展が行われる。

津山観光案内所 和蘭堂・津山観光案内所
城東町並保存地区のほぼ中心に位置する津山洋学資料館、その敷地内にある『ナチュラルカフェ&ギャラリー和蘭堂』は観光案内所としてご利用頂けます。
城東地区には、たくさんの神社仏閣が点在します、今もむかしの町並みが残る一画です。
散策途中....ちょっと和蘭堂で...休息してください。
駐車場  津山洋学資料館に9台、東に150m...大型駐車場(無料)が有ります、バスも可

-
◆ 城東むかし町歴史探訪ウォーク、(動画)

城東むかし町歴史探訪ウォーク @苅田酒造
今から約250年前から続く造り酒屋です。この家は城東の町家の中で象徴的な建物といえます。二階建ての軒が大変低く、これは前の出雲街道は参勤交代のお殿様が通った道で今の様な高い二階建ては建てられなかったのです そして入母屋の壁が皆繋がっており一戸建てが建てられなかった為、長屋形式になっています。さらに入り口が道路に面しています。これを「平入り」と言います。二階を見て下さい‥・壁が張り出していますね。「うだつ」の一種で防火用の袖壁です

出隆(いで・たかし)生家 A 石 敢 当
せきかんとう、またはいしがんとうと呼ばれています。辞書によれば、「災を除くため、橋・門・路上の要所などに建てた石碑」とあります。中国・朝鮮を経て日本に伝来したもので、主に九州地方に多く見られます。一説には、「石」は人名。「敢当」は向かうところ敵がないという意味とも言われるそうです

城東むかし町歴史探訪ウォーク B目出度町(めでたまち)
この道は以前は広かったのですが、家が建ち道がなくなりました。その後、家を一部取り除き道が復活しましたが、以前の半分ほどの幅になり、葬列が通れないことから「目出度町」と呼ばれるようになりました

出隆(いで・たかし)生家 C千代稲荷神社
承平(じょうへい)4年(934)の創建と言われ、当初は鶴山八幡宮の摂社として鶴山の中腹に立地していましたが、慶長9年(1604)森忠政の津山城築城に際して、八出村に移されました、慶長13年(1608)再度、山北村に移転され、その後、寛永11年(1634)に森家2代藩主長継が城北に移し、さらに天和(てんな)3年(1683)に3代藩主長武が現在地に移されたそうです

城東むかし町歴史探訪ウォーク D 入 道 坂
☆刀匠の山本土佐守入道の屋敷があったからとも、見越入道の妖怪がでるからとも言われる入道坂の由来です
すぐ南側には小入道坂もあります......共に上之町の武家屋敷に通じる道です

出隆(いで・たかし)生家 E 津田真道屋敷跡
★津田真道、津山藩の料理人の子として上之町に生まれましたが、学問が好きで、江戸へ出て箕作阮甫の元で洋学を学びました。1862〜65年には、津和野出身の西周とともにオランダのライデンに留学しました。帰国後、我が国最初の法律書を刊行し、法律のしくみを整えることに貢献しました....衆議院の初代副議長にもなつています。

城東むかし町歴史探訪ウォーク F 植原六郎左衛門
四国小豆島が領地になったため、水練の必要を感じた津山蒲は植原六郎左衛門を松山藩に派遣し技術の習得を命じました。植原は修練の末、九世宗師伊藤祐雄から十世宗師を与えられて帰藩し津山で神伝流の教授をしました。また、江戸においても隅田川で水練道場を開き希望者に教授したので、神伝流は全国に広まりました。

出隆(いで・たかし)生家 G 川 村 3 兄 弟
★川村清−・川村多実二・川村邦三
川村3兄弟とは、川村清一博士(菌類分類学)川l村多実二博士(動物分類学・生理学・生態学)川村邦三博士(生理学)をいいます。3兄弟共に学究の分野で素晴らしい功績を残されました。生家が城東地区に残ります

城東むかし町歴史探訪ウォーク H 延 命 坂
延命寺(院)森家とのゆかり......
「国公の馬捨場」と言われた

出隆(いで・たかし)生家 I 大 信 寺
城東地区は、津山城の防備のために城下の西に設けた「西寺町」に対して「東寺町」と呼ばれ、森藩の時代には津山城下34ヶ寺の内10ヶ寺が城東地区にあり、現在も7ヶ寺が残っています。大信寺は江戸時代初期の元和7年(1621)の創建としていますが、定かではありません...本堂は江戸時代後期の天保2年(1831)に建築されたものです

城東むかし町歴史探訪ウォーク 城東むかし町歴史探訪ウォーク、
作州城東屋敷に集合し午前9時から約1時間半の、歴史探訪ウォークです
案内は、城東まちづくり協議会の 稲垣精一さんです

出隆(いで・たかし)生家 @出隆(いで・たかし)生家
1892年(明治25年)岡山県津山市西寺町に生まれた。東京大の教授を務め、後に革新系の候補として戦後政治の激動期に東京都知事選挙にも出馬した哲学者です
1980年3月9日、89歳で逝去、

野矢家 A野矢家
津山(松平)藩士、今も昔の面影を残す武家屋敷。長屋門、土塀、庭、式台、土蔵、ets...

本蓮寺 B本蓮寺
創建1614(慶長19年)顕本法華宗(日蓮宗の一派)

安黒谷 C安黒谷
歴史上の大事件...「嘉吉の変」とのかかわり赤松氏と安墨一族との関係

千光寺 D千光寺
城東で最も歴史のある寺、室町時代創建(14世紀終り頃)曹洞宗(禅宗)本山 越前永平寺 道元、樹齢100年を越す 「しだれ桜」が有名です

夏の衆楽園 E蓮光寺
日蓮宗  赤染部家の菩提寺、創建 1634年(寛永11年)

夏の衆楽園 Fだんじり館
城東だんしり館、作州城東屋敷

夏の衆楽園 @大曲り・蘭田小路
城下の防衛鍵曲がり

夏の衆楽園 A直頼高歌碑
安政3 (1859)生まれ国学、漢籍を学び皇典講習所で祭式を習得、大隈神社、徳守神社の神宮和歌、和文、書も巧み「梅の下舎」

夏の衆楽園 B 煉 瓦 屋
柳沢家が明治以降製造品旧洋学資料館の見事な赤煉瓦

夏の衆楽園 C 大 隈 神 社
津山城の鬼門の守護神城東地区の産土神祭神大国主命くにつくり、開発、縁結びの神心本殿、神門、昭徳館、境内は市重文、神輿は登録有形文化財

夏の衆楽園 D箕作家墓所
津山箕作家初代義林から5代可貞まで津山で亡くなった9人と子供の墓

夏の衆楽園 E 瓦 屋 小 路
森忠政が入封のとき、美濃から瓦師の赤染部一族が移住し、上之町一帯の良質な粘土を使用して津山城の瓦を制作しました。その工場や屋敷がこの地にあったことから、瓦屋小路と名付けられました

夏の衆楽園 F鍛冶屋(忠兵鎌)
元禄期20軒野鍛冶(鍬、鎌、包丁) 今13代目の杉山さんが伝統の技を引き継ぐ切れ味抜群、丈夫で長持ち

夏の衆楽園 G城東むかし町家
豪商松平藩「札元」 300坪の敷地に江戸、明治、大正、昭和の建物が同居する複合住宅梶村家は格式の高い家

夏の衆楽園 H箕作玩甫旧宅
先祖は戦国時代のお殿様、元禄期から続く町医者、院甫生家、幕末の洋学者
@ 外交交渉の場で活躍、A 翻訳家として医学を始め、語学、地理、歴史、兵学、宗教学など160冊余出版、B 一族、一門から日本の近代化に多くの貢献をした学者が輩出

夏の衆楽園 I薬屋の壁看板
「鰻絵」 「ひぜんぬり薬」 「龍教○」 「薄荷○」 「鯉の滝登り」 薬屋になぜ鯉の滝登りがあるのでしょうか ?

夏の衆楽園 J舟宿「わかさや」
吉井川の高瀬舟の旅人の宿 「旦那衆の間」 「高瀬舟の間」 郷土の作家棟田博が青春時代を過ごした家 明治42年(1909) 生まれ陸軍報道班員戦争文学作家「分隊長の手記」「拝啓天皇陛下様」「そしてお犬小屋が残った」「美作の国吉井)」津山市文化功労者昭和63年(1988)没

夏の衆楽園 城 東 屋 敷
約1時間半をかけて城東地区東側をまわって来ました....

公益社団法人 津山市観光協会 〒708-0022 津山市山下97-1 0868-22-3310