"作州を離れるまで、吟香の足跡を巡る"
語り継ぐ会は10月30日(土)、前回に続き吟香が辿ったとされる足跡を追った。
コース:津山城東観光駐車場発⇒八木家⇒岸三省堂⇒武蔵野旅館⇒筏屋⇒津山藩教諭場⇒森本家(津山キリスト高校跡)⇒津山銀行⇒江見屋⇒津山洋学資料館⇒菅田観音霊場⇒善應寺⇒津山城東観光駐車場着
今回は主に甲元世話人から説明を受けた。最初に訪問したのは、吟香が坪井から出て初めて過ごした八木家(南新座)、今は取り壊され駐車場となっているが、付近には西東三鬼生誕の地もあった。
また江戸で知り合った岸保治郎印章屋の看板「三省堂」を描いた岸三省堂(本町)では実物を拝見、別に岸氏から吟香が書いた軸も見せていただいた。
更に武蔵野旅館(戸川町)に行く。吟香が津山に帰ったとき利用していた場所で、当時ではめずらしく3階建の建物だった。叙勲祝賀会をしてもらった場所でもある。
次に向かったのは筏屋、吟香の友人正平の家(堺町)である。ここを通過し津山教諭場(小姓町)に行く。教諭場は津山藩が町人教育を行った場所で、昔の面影は見られないが2階に教諭場の看板が掛けられていた。
その後岡山県下で初めて民間が開業した津山銀行(伏見町)まで歩く。吟香も当銀行の株主の一人だったようだ。
更に横浜で医師ヘボンを紹介してくれた森本家(伏見町)付近を歩き津山キリスト高校跡で坂手世話人から説明を受けた。
江見屋(西新町)を巡り津山洋学資料館(西新町)に到着する。館内に入るとその一角に岸田吟香のコーナーがあった。当資料館の学芸員近都兼司氏から吟香の業績等を聞き、また水溶液目薬「精リ水」の立派な看板や目薬を入れる小瓶を間近に見た。
最後の到着点、吟香が泊まったと言う菅田観音堂(下高倉西)では、有木世話人から説明を受けたあと善応寺(大篠)に到着する。この寺院は吟香が江戸に向かう最後にいた場所である。吟香が自ら学問に励むかたわら私塾を開き地域の若者に四書五経(儒学の基本書)などを教えた。善応寺では那波住職のお大黒から詳しい説明を受け、記念撮影もさせてもらい後にした。
今年度の事業(2日間)すべてを終え駐車場に戻ってきたが、津山市内を回るのは初めてという世話人もあり大いに勉強になった。
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