岸田吟香⇒
吟香を尋ね兵庫県丹波市から青木氏来町

3月22日、丹波市市島(いちじま)町史実研究会副会長の青木正文氏が美咲町へ、その目的は、明治時代、動乱する社会の中で孤児の救済事業に立ち上がった大野唯志郎、楽善堂を尋ね指導(手記より)を受けた岸田吟香の生家を尋ねることにあった。二つ目の目的は、自らが見聞を広めることで吟香の人物像を探ることにもあった。
当日は、JR津山線亀甲駅午後0時半着、亀甲駅を16時に立つ強行スケジュール。30分離れた旭文化会館(吟香記念館)で世話人の甲元正美氏らと交流、気が付くとかなり時間も経過しており福渡駅に向かうこととした。多少ゆとりができたため、岸田家の墓地や生誕地を回り鶴田港や旭川ダム湖に面した記念公園にも案内した。 青木氏は、初期の目的が達成でき満足して帰路に着かれたが、語り継ぐ会としても新発見の情報であり、今後とも情報交換していこうと誓い合った。
※孤児救済の先覚者・大野唯志郎(1839-1883)
天保10年、兵庫県上新庄村(現丹波市市島町)生まれ、明治の混乱期に私財を投げ打ち棄子や孤児を救済する慈善事業を行った人。
明治11年、収容する育児院を建設するため、盲者の慈善事業(訓盲院建設)に取り組んでいた岸田吟香を尋ね、丹波から銀座楽善堂に出向き、建設のノウハウや資金調達など18回にわたり、また完成後も19回にわたり運営の指導を受けたという。 この完成した育児院を吟香が「愛育堂」と命名したが、妻カツも小児用着物を多数贈るなど夫婦して応援している。明治16年没。


丹波市市島町、大野唯志郎⇒....こちら

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