岸田吟香⇒
孤児救済「大野唯四郎史跡」を訪ねて
「大野唯四郎史跡」視察を計画しましたので興味のある方を募集します。

孤児救済は、岡山県では石井十次(1865-1914)が有名ですが、兵庫県丹波市に大野唯四郎(1839-1883)という人物もいた。
大野は私財を投げ打ち孤児の救済活動を行った人で、明治12年兵庫県竹田村に「丹波愛育堂」を創設した。前年の11年、大野は東京銀座楽善堂を訪ね建設や資金調達方法、完成後も運営方法など吟香に相談したという。
現在は跡地しか残っていないが、今回孤児救済を側面から応援した吟香を研究するため、下記の視察を計画しましたので興味のある方を募集します。
1.日時 7月30日(土) 集合場所:美咲町役場(7時45分出発)
2.行先 兵庫県丹波市
3.募集 3人
4.行程 7:45美咲町役場―JR勝間田駅―勝  央IC―中国道―吉川IC―舞鶴若狭道  ―春日IC下車―国道175号―丹波市市島支所11:00 (美咲町着18:00解散)
5.会費 1人5000円程度

慈善家・大野唯四郎の生誕地を訪ねる!

大野唯四郎の孤児救済を側面から支援した岸田吟香、10月25日(火)語り継ぐ会員4人は、吟香の志しを胸に丹波市市島支所を訪ねた。
大野は、兵庫県氷上郡葛野村上新庄(現丹波市氷上町)に生まれ、幕末から明治にかけ棄児や孤児など恵まれない子供たちを救済するため愛育社を創設した慈善家である。
明治12年丹波地方に「愛育堂」を創設した大野は、家屋敷はもちろん家財一切を投げ打ち、そのうえ一家が離散に追いつめられるも救済を諦めなかった人である。
明治16年、不慮の事故で45歳という若さでこの世を去ったが、愛育堂創設の相談を受けた吟香は、大野の気持ちをどう受け入れたのか、養育院を「愛育堂」と命名した理由は?私たちは現地を踏むことで吟香の想いが享受できると考えた。宣教師だったヘボン医師から善(愛)の心を説かれていた吟香は、自らも眼を患った経験から眼の不自由な人の救済に「訓盲院」の創設を進めていた時期であり、対象は違うが大野の孤児救済に感銘を受けたものと考えられる。
現在、丹波市は吟香が命名した愛育堂の「愛育」をキャッチフレーズ「こころ豊かな愛育の里」を進めているが、今回、ディスカバー市島会長で史実研究会副会長の青木正文氏から大野唯四郎生誕の地である竹田コミニティセンター、愛育堂址、大野家墓地、菩提寺である「法楽寺の慈善碑」など案内していただき、吟香の挙母藩と同族である湯長谷藩の飛地領だった村の雰囲気を満喫し、また岡山県吉備中央町出身の作庭家・重森三玲が手掛けた石像寺の四神相應之庭なども拝見するなど細やかにご指導をいただいた。 なお、最初に訪れた市島民族資料館では、丹波市文化財保護審議会委員の山内順子氏や市島町史実研究会の井上英道氏から国史跡「三ツ塚廃寺跡」についてのお話しや日本最古の木製カラスキ(牛んが)を拝見するなど、慈善家・大野唯四郎だけでなく町の歴史に触れるなど収穫の多い研修であった。(山本記)

大野唯四郎史跡
丹波市役所市島支所

大野唯四郎史跡
こころ豊かな愛育の里

大野唯四郎史跡
街のあちこちに愛育が使われている

大野唯四郎史跡
市島民俗資料館

大野唯四郎史跡
珍しい六角形をした神輿

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡
竹田祭の紹介

大野唯四郎史跡
館内を紹介する山内さん

大野唯四郎史跡
日本最古のうしんが

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡
資料館前で

大野唯四郎史跡
ハイポーズ

大野唯四郎史跡
石像寺山門

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡
四神相應之庭

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡
唯四郎の生誕地
竹田コミニュティセンター

大野唯四郎史跡
ここにも愛育が

大野唯四郎史跡
大野生誕地の地図

大野唯四郎史跡
青木さんより紹介を受ける

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡
竹田地区愛育社址周辺

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡
大野唯四郎墓地

大野唯四郎史跡
ここにも愛育が

大野唯四郎史跡
法楽寺に向かう

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡
慈善碑

大野唯四郎史跡
唯四郎が勤めた竹田小学校跡

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡
最高に美味しかった但馬牛

大野唯四郎史跡
愛育社址

大野唯四郎史跡

大野唯四郎史跡

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広場に建つ愛育の説明板

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愛育堂址の石碑が有ります

岡山県北情報掲示板 mail:info@owow.jp