津山市院庄 極楽山 清眼寺
寺伝によると、823年から832年頃に弘法大師が開山し、当初は「極楽山雲清寺」という寺号だった古刹。
後醍醐天皇も隠岐に流される時に立ち寄ったという。のちに、火災で焼失したが15世紀半ばに再興し、「極楽山清眼寺」に改号しました。
淳和天皇の御宇、弘法大師の開山でもと雲清寺と号しました。
元弘二年後醍醐天皇隠岐に御遷幸の砌、御駐輦になられたのは雲清寺と伝う、境内での宝筐印塔に雲清寺のおもかげを伝えています。
後年諸堂焼失、長禄年間(一四五七年頃)宥尊上人今の地に再建、清眼寺と改号、山名時氏美作の守護職の時祈願所となし寺領を寄進、永正年中、入江蔵人村則を葬り嗣子石見守藤忠堂字を修め亡父の冥福を祈る。
貞享五年秋九月森家々老長尾勝明、院庄駐輦碑を建て後醍醐天皇児島高徳の由跡えを明らかにし、ゆかりの当山に「院庄貽文」を託しました。
慶応年間城主松平慶倫がこれに副書を添え模刻し、これも寺に残しています。
毘沙門天は古くから信仰をあつめ、美作国七福神霊場として多数の参拝者があります。
又境内の約百種三百株のぼたんの花は副々しい美しい大輪の華を咲かせ、ぼたん祭りには遠近の多数の参拝者で賑わいます。
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