★吟香が19歳で江戸に出ようとしたとき、長男であることを理由に両親から強く反対されていたが、吟香の伯母壽(とし)の嫁ぎ先美作国久米南条郡別所村の光元吉左衛門吉謙(よしかね)が吟香の両親を説得し学問修業のため江戸へむかうことができた。
★安政2年(1855)初冬、吟香22歳のとき、持病の脚病(かっけ)が悪化し失意し帰郷したが、施療養は主として光元家に奇寓して行った。
一年後病が癒えて再び江戸を志すもの両親の許しが出ず、伯父辨次郎義?の執り成しでなんとか大阪までの許しが江戸へ出た。その後、江戸へ出て藤沢東該(儒学者)の門下に入った。
★岸田吟香から弟助三へ送った手紙の大要。
明治16年(1883)郷里 先月十月十九日に坪井でお別れしてから、落合に一泊し三十日に旭川を舟で下り栃原から、斎藤玄立光之吉殿、御手倉から奥村重遠さんが乗り込み賑やかになり両側のふう景色に尉められて五時過ぎ岡山に着き、そこから汽船に乗ったがその夜大風のため牛窓に停泊し、三十一日朝になり錨をあげて、一昨日午後ようやく大坂に着いたところです。途中一日をむなしく過ごし昨日は、忙しく今朝まで大坂の用事をすませただいま神戸まで出たところ、上海行の郵船名護屋丸も未だに着港しない、今朝から天気が回復し上海もおだやかなことであろうと思われます。
この時に吟香50歳 玄立62歳
★岸田吟香と斉藤玄立の出会と再会
出会:安政2年(1855)22歳吟香は帰郷時
再会:明治16年(1883)50歳吟香は帰郷時
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