昭和3年(1928)発刊
三保村役場が昭和3年11月10日に発刊した「御大典記念 三保村誌」に、次のような記載ある。
四、城跡 鬼山 大字下打穴中山上平地東西二十五間、南北五十間、一名= 鬼城- 或曰(いわく)= 鬼截山-(作陽誌所載)
山名の由来(伝説)
昔は三峯山と云って居た。 紀元一千八百年代保延の年、此の山に悪鬼現はれ種々災害をかもした。 焼寺も此の時の炎にかかったと云う事である。 当時桃太郎と異名をとった豪傑が此の里に住んでゐた。 或日単身此の山に登り,悪鬼と格鬪し逃ぐるを追ひ一剣のもとに退治た。
其の處が今の退治山である。 桃太郎は意気揚々凱歌をあげた。 其の所が勝宸ナある。 村民大に喜び村内安全の祝詞をあげた。 其の處が所謂祝詞である。 是れから三峰山を鬼截山と改め、或は鬼山とも云ひ、築城に及んで鬼城と云った。
以上のように記されている。
この内容は、桃太郎の鬼退治伝説で、鬼山、退治山、勝(しょう)(ざこ)、祝詞(のっと)、焼寺の地名をもとに作られている。
『三保村誌』の発刊が1928年であり、三大伝説地の1930年よりも2年も早いことになる。それも、個人の研究成果ではなく、自治体の発行した村誌に掲載されており、「桃太郎伝説地」として名乗りをあげた最初ということできるだろう。(『中央町誌』原文抜群)
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