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播磨町から視察団を迎える!


2022.09.03

岸田吟香と日本初の新聞紙を発刊したジョセフ・ヒコこと浜田彦蔵を顕彰する兵庫県野添地区地域推進委員の皆さん13人が、9月3日記念館を訪れ熱心に研修されました。
丁度その日は第14回世話人会を開催しており、みんなでお迎えしようと会議を中断し応対、最後に全員で記念撮影をしました。
本日、伊田冠館長から「のぞえコミセンだより」10月号が届きましたので、その一部をご紹介します。ありがとうございました。 10月号より(抜粋)
岸田吟香は幕末から明治にかけての激動の時代に、多くの「日本初」の仕事をやり遂げたジャーナリストであり実業家です。
若くして重い眼病を患いますがヘボン医師(ヘボン式ローマ字の考案者)に治療してもらったことから、粉やねり薬ではない液体の目薬「精リ水」を初めて作り、販売し、その利益をもとに東京に目の不自由な人の学校「訓盲院」を創設しました。他にも丹波に孤児院を建設する支援を行なったり、中国のアヘン中毒患者を救おうと奔走したりしました。
ジョセフ・ヒコ(播磨町古宮出身)から英語を教えてもらった吟香は、ヒコとともに日本初の日本語新聞「海外新聞」を作りました。また、ヘボンを手伝い日本初の和英語辞書の編集・印刷に貢献しました。その後、東京日日新聞の記者となり、ジャーナリストとしても活躍するなど彼の業績を紹介するには紙面が足りません。(吟香の4男は「麗子像」の絵で有名な岸田劉生)。
記念館では、岸田吟香を語る会の皆さんの熱烈な歓迎を受け、かつてのジョセフ・ヒコと岸田吟香のつながりを現在の播磨町と美咲町のつながりへと発展させましょうと話しました。

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