歴史と文化の城下町津山観光マイスター
岡山県美咲町文化財研究会島根県浜田市
石州浜田藩ゆかりの地を訪ねる研修 2017.10.21

○○○○ 旧浜田藩鶴田藩
浜田市は島根県西部、昔の石見(いわみ)国の中心の町で、天然の良い港に恵まれ、水揚げ年間十万トンを越すほどの水揚げ都市、浜田高は野球でも知られている。
ここはもと毛利の藩領であった、慶長5年(1601)、こ毛利の滅封で一時天領なたったが、元和5年(1620)に吉田重治が入封、5万4百余石で浜田城を築いた。
それ以降二つほどの藩が動いたあと、天保7年(1836)、こ関東の館林から総平斉厚が入封した。
この松平の家系が作州の鶴田藩につながる。4代将軍家綱の弟の綱重の次男、清武が祖となった館林藩がつくられた、5代目が浜田ヘ転封しているが、館林は6万1千石、浜田はそれに足らないので作州久米郡内17か村を飛び領地として6万1千石にした。
作州と関係のはじまりである。
浜田藩は慶応2年(1866)、幕府の長州征伐に徳川として参戦したがあえなく敗れる、浜田城の落減(白焼退城)後、3500人が飛び領地としであった岡山県久米郡内に落ちのび、新しく鶴田(たづた)藩が誕生、明治4年(1871)の廃藩置県まで3年余の間続いた。

平成29年10月21日(土曜)
研究場所
@浜田城跡初代藩士・吉田重治が5万5千石の城として元和6年(1620)築城。その後天保7年(1836)群馬県館林から船平(越智)右近将監家が6万1千石で転封した。
A妙音寺(殿町)浜田藩主 松平右近将監家の墓地
B観音寺(真光町)旧浜田藩土岸静江国冶墓 美作浜田会の旧浜田藩家中家族合同墓由来記
C浜田郷土館資料館 浜田市の郷土の資料が展示  現地案内 浜田市教委文化振興課 川本箱司氏

浜田城
(1920×1080) 動画
浜田藩ゆかりの地を訪ねる

浜田城
浜田市役所前

浜田城
浜田市教委文化振興課
川本祐司氏の説明

浜田城
浜田城下、岸静江国冶屋旧敷前

浜田城
浜田藩主、妙智寺前

浜田城
浜田藩主の墓前

浜田城
浜田藩歴代の御位堂

浜田城
藩士歴代の御位

浜田城
浜田城と柿本人麻呂説明版

浜田城
浜田城内秋葉神社前

浜田城
浜田城内の護国神社前

浜田城
浜田城内護国神社前で説明

浜田城
浜田城跡

浜田城
浜田城復元CGI

浜田城
浜田城追懷の碑

浜田城
浜田城内門

浜田城
浜田城石段説明

浜田城
浜田城石段

浜田城
浜田城石段

浜田城
急な石段

浜田城
浜田城跡から見た内ノ浦湊

浜田城
浜田城跡本丸見た日本海

浜田城
浜田城跡で説明

浜田城
浜田城下観音寺前で説明

浜田城
観音寺内旧浜田藩
土岸静江国冶墓前で説明

浜田城
観音寺内旧浜田藩
家中家族合同墓由来記

浜田城
観音寺内旧浜田藩

浜田城
観音寺旧浜田藩家中家族合同墓

浜田城
浜田ゆうひパーク浜昼食

浜田城
昼食

浜田城
美咲観光バス

浜田城
美咲町文化財研究会

浜田城
美咲町文化財研究会員の皆さん

岡山県北情報掲示板.....取材・編集 こうもと