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歴史と文化の城下町津山観光マイスター
宇田川榕菴  城西まち歩き  郷土の偉人をしのぶ

第6回まち歩きガイド、2017、6月22日(木) 10:00〜12:00

・集合: 城西浪漫館に9時50分  ・定員: 先着30名  ・講師: 赤坂健太郎氏(津山おくにじまん研究会)

コース(天候によりコースや順番は変更になる場合があります)

城西浪漫館

津山城下町歴史館

徳守神社

翁橋

作州民芸館

泰安寺
榕菴のお墓に榕菴珈琲をお供えします
松平歴代藩主や徳川宗家の位牌が並ぶ御霊屋を特別拝観

成道寺

城西浪漫館
榕菴珈琲を味わっていただけます

津山の偉人・宇田川榕菴の命日にお墓を参りませんか。
宇田川家三代にが眠る泰安寺で「珈琲」の当て字を考えた榕菴を顕彰しコーヒーを墓前に供えるほか、歴史ロマン漂う城西地区をガイドと共に歩いてめぐります。
今年で6回目を迎え恒例イベントです。

◆ 2017 06/22(日)....動画

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城西浪漫館⇒津山城下町歴史館

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徳守神社⇒翁橋⇒作州民芸館

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泰安寺
榕菴のお墓に榕菴珈琲をお供え

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泰安寺
徳川宗家位牌を特別拝観

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成道寺⇒城西浪漫館

◆ 2017 06/22(日)....photo

城西まち歩きガイド 城西まち歩きガイド 城西まち歩きガイド 城西まち歩きガイド 城西まち歩きガイド
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◆ 津山城下町歴史館
2017年4月に開館した、津山だんじりや津山の武家屋敷の模型や奴行列に関するパネルなどを展示しています。
ここはもと津山藩士の武家屋敷があったところで、母屋を解体しだんじり展示棟、ガイダンス棟を整備しました。長屋門は当時のものを残して修復しています。
元あった武家屋敷は天保14(1843)年頃に建築され、田淵という津山藩士が住居を構えていました。
それ以前には永田という儒 臣が住んでおり、記録によると箕作院甫が江戸に出立する前に母親と共に同居したとあります。

◆ 徳守神社
徳守神社は733年(天平5)に創建されたといわれ、戦国時代に兵火にあい荒廃してしまいました。「徳守」の名前は、勅使として来ていた清閑寺大納言藤原徳守が小田中で亡くなったので、社を建て徳守という名前を付けたということです。
1604年(慶長9)、森忠政が津山城築城工事の無事を祈つで社殿を造営し総鎮守としました。小田中から移設された住吉神社が昔の本殿でした。
当時、北側は武家屋敷だったので西側に参道がありました。現在の本殿は1664年(寛文4)ニ代藩主森長継が再建したものです。昭和31年に県の重要文化財に指定されました。本殿は東の津山城が見えるように建でられました。
社務所の奥には徳守会館があります。大広間は大手町にあった津山高等女学校の「温故館」を移築したものです。
黄金色に輝く日本三大神輿(大阪天満宮、福岡の筥先宮)は津山の自慢です。
善神社(お花宮)は安産、結婚、縁切りなと、女性の願いをかなえる神様です。

◆ 翁橋
津山城下町を広くするために、さらに外濠の機能を持たせるために、計画的に蘭田川を西に流れるようにしました。
名前の由来は、蘭田川は翁川と呼ばれていた、傍に久蔵というお年寄り(翁)が住んでいた、さらに久蔵橋、萱屋橋、茅橋なとやと呼ばれていたようです。
明治初期は木造の橋でしたが、1925年(大正15年)1月に鉄筋コンクリートになりました。
長さ8.9rn、幅9.8rnです。昭和中頃になると親柱は花崗岩になりました。 これを設計したのは、知新館を設計した上紺屋町の中川伊平という人です。

◆ 作州民芸館
大正9年(1920)土居銀行津山支居としで建てられました。土居銀行は個人銀行で、津山市田邑で開業しましたが中国鉄道が開通したことから現在地に支居を開設しました。
営業成績が良いことから本店として建て替えました。その後、作備銀行、山陽銀行、中国銀行、日本塩回送(株)、吉井川魚業協同組合へと所有権が移りました。平成4年(1992)津山市が敢得し、作州民芸館としてオープンしました。
作州地方の民芸品や郷土玩具が展示され、2階には西大番所の絵図を見ることができます。
地元の人達で管理されており、午後は駄菓子屋さん、レコード鑑賞のできる喫茶店、芸術家の作品展会場にもなっています。
木骨洋館で、通気ロには「土」の字が埋め込まれています。青銅の尖塔屋根はランドマークになっています。駐車場は裏にあリます。

◆ 泰安寺(たいあんじ) 津山3か寺
慶長8年(1603)に森忠政が美濃金山の涅槃寺を移し、作州の菩提寺としました。
2代藩主森長継により秀忠、家綱の霊稗が安置されていたことから、元禄11年(1698)森家の後の津山藩主松平宣富の祖母の戒名より泰安寺と改め、松平家の菩提寺となりました。
松平初代藩主松平宣富の墓、7代藩主斉孝、同奥方の墓、森公ニ代藩主森長継の7男、森大吉(7歳)の墓があります。
2012年泰安寺は岡山県の史跡として指定され、さらに2013年には山門と本堂が岡山県指定重要文化財になりました。
津山三か寺とは、本源寺、妙法寺、泰安寺のことで、他の寺より上位にありました。

◆ 宇田川三代墓地
平成元年(1989)に東京の多摩霊園から移された宇田川家三代の墓が長い忠魂碑の東側にあります。墓碑は5基あり、右から塊園(かいえん、本名は玄随)、榛斎(しんさい、本名は玄真)、榕菴(ようあん)、榕菴夫妻、興斎(こうさい)妻子の順に並んでいます。
興斎妻子の墓はこの寺に江戸から寺替えされていたので、三代の墓をここに移しました。塊園先生(玄随)の墓は関東大震災の影響で斜めに亀裂が入っています。
興斎は城北の宮川のほとりに屋敷を構えでいた。最後の津山藩主松平慶倫の妻、犠姫の乳がんを久原宗甫と共に治療したことは有名です。

◆ 宇田川榕菴(瑚排の名付け親....1798生〜1846年6月22日没)
宇田川家は代々津山藩医として江戸で抱えられていました。祖父の宇田川玄随は江戸で生まれ、父の後を継ぐために漢方医学を学んでいましたが、西洋医学に興味を抱き、幕府の医師・桂川甫周に蘭学、大槻玄沢にオランダ語を学び「西説内科撰要」を出版しました。
父は松阪の出身で玄随の弟子、安岡玄真で養子となって宇田川を継ぎました。
人体解剖図を付けた「医範堤稿」の中で使われた「大腸」「小腸」「脂肪」「尿道」「腺」「膵」などは有名です。
榕菴は、美濃大垣の生まれで玄真の養子となりました。日本で初めての植物学書「植学啓原」、化学書「舎密開宗」は貴重な物でした。「花粉」「気功」「繊維」、「元素」「酸素」「窒素」「瓦斯」などの言葉を作ったことは有名ですが、「珈琲」は特に有名です。
近代科学の生みの親といわれています。

◆ 成道寺(じょうどうじ)
慶長8年(1603)森忠政に従い、美濃金山から来た智山が、慶長9年(1604)来迎寺を建てました。元和2年(1616)4 月、徳川家康が亡くなると、その位牌が各地に送られ、津山は来迎寺に安置されました。
その後、重臣の永見、大熊、山田、本多、小沢、渡部氏などが檀家となりました。享保4年(1719)、元文4年(1739)、宝暦元年(1751)と、何度も火災にあったことから縁起をかついで、成道寺と名前を変えました。
山門は津山城の表門(作事門)が津山藩庁、北条県庁の門として使われていた門が払い下げられたものです。
本堂の南に広い墓地があり、西東三鬼の代表作「水枕がぱりと寒い海がある」の句碑墓があります。

◆ 城西浪漫館 (中島病院旧本館)
大正6年(1917)建築の木造二階建て(延250平方メートル)。
正面にドームがあり、屋根や窓の細かい装飾が特徴で、部屋ごとに異なる材質の大理石を使った暖炉があります。
赤レンガの旧津山洋学資料館(川崎)を建でた池田豊太郎の代表作です。
銅像に説明があるように中島琢之先生を東京から津山に呼び戻し津山の人達を病気から救ってもらうために、当時では最新鋭の医療機器を備えた病院が建てられました。
中島琢之先生は、明治18年(1885)津山市高野本郷河原森の医師・中島大次郎の長男として生まれました。
東京帝国大学医科大学(現東京大学医学部)を卒業し医師として活躍されていましたが、郷土の熱望にこたえて大正3年(1914)に帰郷し元魚町で中島病院を開設しました。
しかし、研究のために再上京したいと願いますが、引きとめるために現在地に大原孫三郎や妹尾銀行頭取・妹尾順平等がレントゲンなどを備えた病院を作リ引きとめました。
昭和4年(1940)に誕生した津山市初代市議会議長、昭和5年には衆議院議員、その後、昭和10年(1935)には第3代津山市長などを歴任されました。 病院は曾孫、の人が院長となり続いています。

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