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津山城跡(鶴山公園)歴史と文化の城下町津山観光マイスター
津山お城まつり協賛津山城完成400年 記念講演 津山城と石垣「石の声を聴く」

○○○○ 津山お城まつり協賛 津山城完成400年 記念講演
津山城と石垣「石の声を聴く」
平成28年 11月16日(水曜日) 午後13時30分から15時30分 場所 津山国際ホテル[桜華の間]
講演 穴太衆積(あのうしゅうづみ) 十四代目  粟田 純司
◆ 講師
昭和15年滋賀県大津市生まれ。株式会社 古式特技法 穴太衆石垣石積継承者 粟田建設代表取締役会長 粟田家14代目当主織田信長の安土城築城で有名であり、全国の約8割の城の石垣を築いたという近江の石工集団「穴太衆」。その14代目として安土城、彦根城、高知城、竹田城など多くの史跡の石垣修復にあたる。
平成24年文部科学大臣より「選定保存技術保持者に認定。
現地説明会
講演終了後、午後3時30分より現地津山城で 実際に石垣を見ながら講師による解説を行った。
主催 公益社団法人 津山市観光協会 電話0868ー22ー3310

◆ 穴太衆積(あのうしゅうづみ) 十四代目 粟田純司氏講演会動画掲載、(取材・こうもと)

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国際ホテル 講演

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国際ホテル 講演

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津山城の石 垣粟田純司

津山の城と町づくり
江戸幕府が生まれた年、慶長八年(1603)の二月、美濃の武将、森忠政は岡山県北部の美作五郡十八五万六千五百石を受領、三月二十六日(新暦五月七日)に美作に入封、現在の津山院庄で築城を考えた。院庄地域に入ったのは、鎌倉幕府がこの地に守護所を置いた所、交通の十守路賭して重要な地点であり、古くは美作国府の所在地にも近かった。しかし城地決定について、森家千代実録記録によと...

1) 院庄は平城では洪水が防ぎにくにA家老井戸右衛門兄弟と森忠政夫人の兄である名古屋右衛門が決闘して共に死んだ所で不吉であるとした。中世の山名時代末流の山名忠政の築いた鶴山跡(当時八幡山とよんだ)に新しく築城することにした。現在の津山の再建というのはそれである。
嘉吉のもので残っている薬研堀と御廐堀の二つだけといわれている。
中世の城下には戸川の市があったと林田の市があった。近くの人達はここに集ってにぎわっていた。
森忠政は吉井川を中心とする川原敷に城下町を造成、産業基盤を守る都市計画に苦心している。

築城の石組
津山の築城と町づくりは十三年間かかったる途中三年間ぐらい工事を休いでいる。財政亊情や民心の安定が必要だったのであろう。江戸城を各地の普請の手伝いにも出道している。大阪冬の陣、夏の陣もあった。築城中に洪水もあり、お家の亊情も多かった。町づくりの完成は二代長継につがれ、五十年はかかったろうといわれている。
史跡国指定によっている城跡の特色は穴太積(あのうずみ)の石垣である。安土城の手法だ。

津山城
津山城三の丸北石垣

津山城
本丸東側石墨

津山城
東側の墨上包櫓(鼓櫓)

津山城
津山城三の丸冠木門

津山城
津山城三の丸上鶴山館

津山城
津山城三の丸北石垣

津山城
津山城二の丸裏

津山城
津山城備中櫓

津山城
津山城表門

津山城
津山城北から

津山城
津山城南から

津山城
津山城天守上から見た曲輪の虎口

津山城
津山城天守台

津山城
津山城天守曲輪

津山城
津山城天守閣下段

津山城
津山城天守閣跡東入口

津山城
津山城天守閣跡中央は穴蔵

津山城
津山城天守閣跡東から

津山城
津山城月見櫓

津山城
津山城月見櫓上

津山城
津山城本丸東側石垣

津山城
津山城本丸東側石積の武者墨の走り

津山城
津山城矢切櫓

津山城
津山城裏門

津山城
津山市内北

津山城
津山市内東

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